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嗅覚アートの系譜(1) 〜音と香りの実験的表現〜

これまで日本語では語られてこなかった、嗅覚アートの歴史とその成り立ち。独断と偏見で、わかりやすく簡単に、シリーズで紐解いていきたいと思います。本日は初回ですので、アートの文脈で辿れる限り、いちばん昔のお話です。

19世紀末のヨーロッパ。近代化学の発展に支えられ、香水産業が花開いていました。イギリス人化学者セプティマス·ピエス(Septimus Piesse)によって1857年に書かれた「The Art of Perfumery」1は、多くの人にインスピレーションを与えたと考えられています 。彼は著書の中で、香りに音楽のアナロジーを用い、香りをノート(音符)に喩えました。

香りは音と同じように、嗅覚神経に一定の影響を与えるのではないか。いわば、音楽のオクターブのように、匂いにもオクターブがある。匂いは、楽器のキーに当てはめることができる。例えば、アーモンド、ヘリオトロープ、バニラ、オレンジフラワーなどは混ざり合うと、それぞれが異なる度合いでほぼ同じような印象を与える。また、シトロン、レモン、オレンジピール、バーベナも、高いオクターブの香りを形成し、混ざり合う。ハーフノートにはローズとローズゼラニウム、ペティ・グレイン、ネロリ、オレンジブロッサムといった黒キー。そしてパチョリ、サンダルウッド、ヴェチバー、その他多くの香りは互いにぶつかり合う。

The Art of Perfumery, Septimus Piesse 著者訳


ピエスにインスパイアされたのかは定かではありませんが、のちの1902年、日本人とドイツ人のハーフの芸術家、サダキチ·ハートマン(Carl Sadakichi Hartmann)2が、香りつきのコンサート「16分間の日本への旅 (A Trip to Japan in Sixteen Minutes)」をNYにて企画。彼は長崎の出島で生まれ、4歳の時に日本を離れています3。故郷への想いをコンサートに込めたのでしょうか、ハートマンのナラティブに合わせ、音が奏でられ、香水の染みた四角い布が二人の芸者により扇風機にかざされ、香りが流れる、というものでした。 会場探しに苦労した末、やや場違いな場末の劇場だったこともあり、2つ目の香りを蒸散したところで野次が飛び、退散。

頓挫してしまったとはいえ、これが最初のエキスペリメンタルな香りの試みと考えられています。そのため国際的に名高い Institute for Art and Olfaction (アートと嗅覚のためのインスティテュート、以下IAO) が主催する嗅覚アワードのアニュアルコンペ(2015年開始)の部門のひとつに彼の名が冠され、 ”Sadakichi Award for Experimental Use of Scent(実験的な香りの試みのためのサダキチ賞)” となりました4

ハートマンは1913年に、その著述「In Perfume Land」の中で、パフューム・オルガン(別名オクタフォン)についてこう論考しています。

「オクタフォンは、和音を奏でるように香りのハーモニーを奏でる。補助的なものであるし、パフュームのメーカーにとっては、あるていど、科学的な価値のあるガイドだろう。ピアノで和音を打ち、和音それぞれの音がどのような匂いに対応しているかを見れば、何か新しいブーケ(花の香りの調香)の発想を得られるからだ」5

In Perfume Land, Sadakichi Hartmann 著者訳

同時にハートマンは、こう冷静な見解も示しています。

「それぞれの音と匂いの対応は、純粋に憶測に過ぎない」5

In Perfume Land, Sadakichi Hartmann 著者訳

実際に、誰もが「ド」の音を聞いて「カンファー(樟脳)」と結びつけるわけではありません。人それぞれです。パフューム・オルガンは、これが真実であると教えるものでも、共通認識としての美意識を育むためのものでもありません。しかし、パフューマリー(調香)を探求する者にとっては、メタファーとして機能し、よい道具なのではないか、とハートマンは分析しています。

その後1922年には、科学誌 Science and Inventionが、ピアセのアイディアをもとに詳細なイラストを起こし、音と香りの関係性についてさらに論考を深め、各音階に香りを当てました7。装置は実際には製作されず、アイディアのみにとどまったようです。

Key for which fragrances correspond to certain notes on the “smell organ” (1922)
The “smell organ” as illustrated by Frank R. Paul in the June 1922 issue of Science and Invention
painter from Brockhaus and Efron Encyclopedic Dictionary, Public domain, via Wikimedia Commons (1890—1907)

こういったパフューム・オルガンのコンセプトは、現代アーティストにインスピレーションを与え、後にさまざまな形で作品が産まれることになります。詳細はまたいつか。

というわけで、世界的な香りの実験的表現の扉を開いたのはなんと、記憶が薄い日本への郷愁を嗅覚で表現しようとした日系人、サダキチ・ハートマンだったのです8。頓挫してしまった彼のコンサートは、1世紀以上も経った2014年、IAO により復刻され、現代に沿った形でLAにて上演されました9。彼の情熱へのリスペクトが、1世紀を超えて、ここに集約されました。

‘A Trip to Japan in Sixteen Minutes, Revisited’ – BTS

注釈:

  1. The Project Gutenberg eBook of The Art of Perfumery, by G.W. Septimus Piesse. www.gutenberg.org ↩︎
  2. サダキチの波瀾万丈な人生についてはwikipedia等さまざまな資料があるので、参考にされたい。 ↩︎
  3. Believer, A Trip to Japan in Sixteen Minutes, Michelle Legro, https://www.thebeliever.net/a-trip-to-japan-in-sixteen-minutes/ ↩︎
  4. https://artandolfaction.com/awards/ ↩︎
  5. https://en.wikipedia.org/wiki/Perfume_organ ↩︎
  6. https://en.wikipedia.org/wiki/Perfume_organ ↩︎
  7. Pacific Standard, The Olfactory Organ, Matt Novak,https://psmag.com/environment/smell-organ-50062 ↩︎
  8. ここからは単なる私の憶測ですが、「郷愁」「なつかしい」は、外国語に直訳しにくい単語でもあり、すなわち日本独自の情緒を内包する語です。そのためか、日本人は特に嗅覚と記憶を結びつたがる傾向にあり、サダキチも例外ではなかったのでしょう。かくいう私も例外ではなく、移住まもない頃のオランダで、「なつかしさの匂い」(2006) という副題の作品を作り、日本の匂いを蒸留して展示しています。 ↩︎
  9. https://artandolfaction.com/projects/a-trip-to-japan-in-sixteen-minutes-revisited/ ↩︎