The Air as a Medium (メディウムとしての空気)
2025年8月より、CCBTアーティストフェローとして活動が始まりました。このブログを私の思考や発見を記していくメモがわりの場にしようと思います。まずは、私の実施計画書より重要なコンセプト部分をご紹介します。
Olfacto-Politics (嗅覚の力学)
生きることは、空気を分かち合うこと。
見えないけど感じられる匂いは
そこにある私たちの関係を問い直す。
To live is to share the air.
We do not see it, but we breathe it.
Smell connects us ̶ and reveals our relationships.

本企画は、都市における空気の存在をコモンズ(共有資源)として再発見し、気候変動・都市公害・共生などの社会課題を嗅覚という非視覚的感覚を通して可視化・体験・共有するものである。嗅覚をめぐる社会的力学や権力構造などの隠れたポリティクスを暴いていく。
教育・リサーチ・表現の3つのプロジェクトを段階的に接続することで、空気という「見えないコモンズ」に対する市民の理解と行動を促し、この不確定な時代を生きる(息る)ための嗅覚的レジリエンスを養う場となることを目指す。
ARTIST STATEMENT
空気はコモンズ(共有資源)である。息を吸って吐いて生きる私たちにとって、ここまでは私ので、そこからはあなたのね、と線引きできるものではない。コロナ禍は我々にそのことを改めて認識させた。
もし空気を媒体(メディウム)と捉えるなら、我々人間含むすべての生物がそこでたくさんの情報をやりとりしている。酸素や窒素などの気体、匂いやエアロゾルなど化合物やウィルス、さらには科学では説明しにくい「気」のようなものも内包する。このプロジェクトは匂いを手がかりに、コモンズとしての空気とその循環を可視化し、タンジブルに体験できるようにするものである。
私は嗅覚アーティストとして20年以上、匂いに携わっている。匂いや香りには、人の感情や記憶に訴えるという興味深い側面がある。しかしその点が誇張されてフォーカスされがちでもあり、香りと情緒を紐づければ、モノやサービスが売れやすくなるとも思われがちである。 見方を変えれば、息をせねば生きられない我々にとっては、無意識に操られるということも意味する。しかも過密な都市には、良くも悪くも人工的な匂いで溢れかえっている。嗅覚を通して体内に入ってくる揮発性物質を広義の匂いと捉えるなら、それは生理現象をも操り、時に健康を害し、人を死に追いやる側面もある。
先日埼玉八潮で起きた下水陥没事故の原因も、卵の腐ったような匂い、硫化水素といわれている(金属を腐食させる)。30年前の地下鉄サリン事件で使われたサリンも、揮発性の有機リン系化合物であり、異臭がしたと被害者は語っている。世界有数の人口密度を誇る東京の過密・密閉下では、例えば階下の焼き鳥屋と上のマンション住民との間で問題なるなど、匂いは争いの火種として常に潜んでいる。そして普段はコントロール下にあるように見える場合でも、災害時や非常時には必ず悪臭が課題となる。
コモンズとして空気を捉えるなら、そこで生じる様々な問題もグローバル・コモンズである。昨今の東京の夏は危機的に暑い。気候変動、温暖化問題はもう待ったなしの切実な問題であろう。私はここで、匂いで人の記憶や感情に訴えるよりは、テクノロジー(デジタル嗅覚)の力を借りて客観的なデータを示したいと考える。
都市とは、自然からその匂いを奪ったエリア、いわば人間の縄張りである。東京のような大都市に人が生きるようになってから、せいぜい100年ほどしか経っておらず、東京はさながら壮大な嗅覚の実験場である。そんな東京を舞台に、このプロジェクトでは「生きる(息る)」ことを問い、嗅覚のレジリエンスを養う場としていきたい。



















